宮城県では、昭和53年6月12日に発生した「宮城県沖地震」を教訓として、
今日6月12日を「県民防災の日」と定め、毎年、県民総参加による防災訓練を実施しています。
当時の宮城県沖地震はどのような地震だったのかをまとめました。
日時:昭和53年6月12日午後5時14分頃
震源:宮城県金華山沖南部
大きさ:マグニチュード7.4
最大震度:宮城県仙台市及び石巻市で震度5
津波の状況:東北地方の太平洋沿岸で14~22cm
死者:27名
負傷者:10,962名
住宅全壊:1.377棟
住宅半壊:6,123棟
一部損壊:125,370棟
等
※当時の宮城県の予算が約3,000億円で、被害額が約2,700億円との事
ですので、被害額を見てもその被害の大きさが分かります。
また、宮城県のHPに下記記載がありました。(※平成21年6月25日更新)
『国の地震調査委員会が公表している「宮城県沖地震の長期評価」では、
地震発生の可能性は、年々高まっており、今後30年以内(平成49年末頃まで)に、
99%の確率で、次の地震が起こる可能性が高いと指摘されています。』
更新日時が正しければ、昨年起きてしまった東日本大震災の前に書かれていた
ものだと思います。
34年前に起きた宮城県での地震。
それを教訓として対策も施されていたものだと思います。
それでも、防ぎきれないほど甚大な自然の脅威だった東日本大震災。
過去の経験を踏まえて、これから来るかもしれない災害に対して
今、出来る事をしていきましょう。
※参考文献:宮城県HP